第192回学習会の報告と次回以降のご案内

 第192回社会科学習会は、令和6年5月11日(土)に「東京の尾根と谷⑨ 江戸切絵図の世界を歩く」と題して木場駅から門前仲町駅までの巡検を行いました。元全国中学校社会科教育研究会会長竹原眞先生の案内で、広重の「江都名所 洲崎弁天境内」、広重・豊国の「江戸自慢三十六興 洲さき汐干かり」、国定(3代目豊国)の「艶姿辰巳勝景」などに描かれている場所を訪ね、現存する建物や跡地、記念物などを見学し、地域の変遷や人々の暮らしを考え、地域的特色について学びました。以下、巡検の概要を紹介いたします。

1 洲崎神社

 東京メトロ東西線木場駅前の沢海橋第一児童遊園に集合し、大横川(江戸時代は平野川)に架かる新田橋(江戸時代は少しずれるが江島橋)を渡り、洲崎神社を訪れました。1700年(元禄13年)に洲崎弁財天社として創建されました。当時の海岸線が神社付近にあり、海中の島に祀られ、浮弁天とも呼ばれていました。境内には、東京都指定有形文化財の波除碑が置かれています。1791年(寛政3年)に深川洲崎付近に来襲した高潮により、付近の家屋がことごとく流され、多数の死者・行方不明者がでました。幕府はこの災害を重視し、洲崎弁天社から西方一帯を買い上げて空地とし、その空地の両端の北側地点に波除碑を二基建立しました。その一つが、当時より若干移動していますが洲崎神社境内にあります。

2 三十三間堂跡地

 洲崎神社の見学の後、富岡八幡に向かいました。途中、平久川に架かる平久橋の近くに二基建立した波除碑のもう一つがありました。上部三分の二は欠けていました。建立当時より少し移動していることが説明板に書かれていました。

富岡八幡に向かう道筋で三十三間堂の跡地の説明を受けました。

 京都の三十三間堂を模して1642年(寛政19年)に浅草に創建されましたが、火災で焼失し、1698年(元禄11年)に富岡八幡宮の東側に再建されましたが、1872年(明治5年)に消失してしまいました。三十三間堂では、通し矢が行われ、通し矢の成功数、大矢数の記録に挑戦することが行われていました。北側に隣接する江東区立数矢小学校ホームページの校長挨拶の中に、次のようなことが述べられています。「江東区立数矢小学校は、深川不動尊と富岡八幡宮に囲まれ、地域の皆様に支えられた歴史と伝統のある学校です。元禄年間にできた三十三間堂跡地で、大矢数の遠矢を行い武芸の鍛錬を競った土地でもあります。校章も三本の矢がシンボルになっています。」と三十三間堂との関係を述べています。

3 富岡八幡

 富岡八幡宮は1627年(寛永4年)に当時永代島と呼ばれていた現在地周辺の砂州一帯を埋め立て、社殿が作られました。広重・豊国の「江戸自慢三十六興 洲さき汐干かり」に描かれているような土地と想像できます。そのような土地が埋められて八幡様が作られ、「深川の八幡様」と親しまれ、多くの信仰を集めて現在に繋がっています。

 本殿に向かって進むと左側に雄大できらびやかな黄金大神輿を見ることが出来ます。江戸三大祭に数えられ、「神輿深川」と言われる神輿の象徴的なものです。紀伊國屋文左衛門が奉納したとされる黄金の宮神輿は、関東大震災で焼失しました。平成3年に日本一の黄金大神輿が奉納され宮神輿が復活しました。佐川急便の佐川清会長(当時)が奉納したものです。

 伊能忠敬像も目を引きます。伊能忠敬は10回測量に出かけますが、8回目まで測量に行く前に富岡八旛宮をお参りし、晩年には富岡八幡宮の近くに居を構えました。そのような関係もあり、測量開始200年の年に測量学会などの関係者によって像が建てられました。

 八幡宮をお参りした後、大関力士碑や横綱力士碑などの相撲関係の石碑を見学しました。江戸勧進相撲発祥の地として相撲とも深い関わりがあります。

4 深川不動堂

 深川不動堂は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院で、1703年(元禄16年)に開創され、「深川のお不動様」と親しまれています。

 靴を脱いで旧本堂、内仏殿を参拝させていただきました。本堂から護摩法が奉修されるお祈りが聞こえてくる中、十二支守り本尊や不動明王像などを拝観することができました。 当初の予定では、最後に深川江戸資料館を見学する予定でしたが、時間がなくなり、油堀の一本南側の路を通って木場まで歩きました。油堀(堀に面して油問屋組合が土地を購入し、油置場に使用したことに由来)は、1699(元禄12)年に開削されましたが、現在は埋め立てられ、そのあとに首都高速9号深川線が建設されています。あの高速の下に油堀があったと確認しながら路を進んでいくと渋沢栄一の居住跡を見ることが出来ました。

 高速道路の下から隅田川の堤防の上に出て、今回の巡検の終点としました。

 今回の巡検は、江戸時代、江戸湾に面した地域を歩きました。道路と水路の位地は、江戸時代と代わっていないですが、周りの風景は大きく変化しています。水と共に生きてきた地域の歴史を大切にし、先人が残してきてくれた教訓を忘れないようにして生きることの大切さを感じる巡検でした。

 竹原先生、ありがとうございました。


次回の第193回学習会は、6月15日(土)15時~ 新宿区立牛込第一中学校にて行います。

講演『 授業における生成AIの効果的活用(仮題)』

講師 玉川大学教育学部教授 濱田 英毅先生


教員紹介|玉川大学教育学部

CLOSE教員紹介News&Topics代表科目日本史概論、歴史資料情報論、インターンシップ日本史学・歴史まちづくりゼミ紹介当時の「臨場感」を再現できる。これが優れた歴史の語り手の特徴です。濵田ゼミは歴史の語り手を目指し、次の二つの視点から歴史を学びます。第一に、あくまでも当時の人々の目線で歴史を理解し、当時の現場の「雰囲気」を理解することを目指します。現代の視点から過去の歴史を評価するだけでは、その域に到達できません。“当事者が当時、現場で”残した資料(一次史料)を手掛かりに、当時の人々の考え方や価値観に迫る学びが不可欠です。第二に、当時の現場の雰囲気を“何となくではなく正確に”理解するために、当時の「空間(構造)」の把握に取り組みます。当時の人々は、当時の空間(政治的・経済的背景としての社会構造、その社会構造の中で育まれた価値観や人間関係、および自然環境を含む)に立脚して、物事を考え、生活を営み、政治的な決断を下し、芸術的・文化的な創作活動をしてきたからです。こうした学びが、現代を生きる我々の「生きる力」に直結します。過去の空間(構造)を正確に理解する訓練により、我々は現代社会の空間(構造)を正確に把握する力を得ます。過去の歴史を学ぶことが、現代を生きる我々の社会的判断力につながる理由は、ここにあります。<学びの具体例>学術文献による学びを基軸としつつ、実際に現地を訪れロケ取材を実践する学び、ICTを駆使して歴史の空間認識(構造認識)力を高める学びを複合的に行います。その成果として、毎年、コスモス祭では学生たちの取材に基づく「地域学習デジタルアーカイブ」を出品しています。これまでに鹿児島県や高知県を主題とするデジタルアーカイブを制作しました。〒194-8610 東京都町田市玉川学園6-1-1Tel:042-739-8111(代表)Copyright © Tamagawa Academy & University. All rights reserve

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社会科学習会は、若手教員を中心に、中学校社会科の指導法や教材開発等について学びを深めたい人たちが集う会です。会長の峯岸誠先生(元 玉川大学教授、元全中社研会長)、岩谷俊行先生(元全中社研会長)のもと、東京都内で基本的に月一回定例会を開き、年に一回は巡検を行っています。学習会への参加は随時受け付けています。社会科の力を付けたい先生方、一緒に勉強しましょう!

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