夏季公開講演会(第128回学習会)が7月27日(木)に江戸東京博物館で開催されました。講師は日本工業大学名誉教授の波多野純先生,演題は「江戸庶民のくらしと経済」でした。講演後,先生が手がけた日本橋の原寸復元,庶民の住居・長屋,両国橋西詰広小路の復元模型の展示解説を頂きました。(記録:昭島市立中学校勤務 M先生)
〔講 演〕
まず,波多野先生がこれまでに復原を手がけた建築の紹介がありました。長崎出島のオランダ商館の復原では,オランダのアムステルダムやライデンに当時の資料が豊富に残っているので,オウムの鳥籠や机の上の文具にまでこだわって復原することができました。福岡城下之橋大手門の保存・復原では,復原していく中で,門が二階建てだったことが明らかになり,当時の様子に復原できました。
教科書や資料集に掲載されている国立歴史民俗博物館の中世東国武士の館の復原模型の設計では,『法然上人絵伝』に描かれている法然の父の漆間時国の館を参考にしました。明るくはっきりと描かれている館ですが,寝ている宿直の武士が描かれていることから,夜の様子が描かれていることが分かります。絵巻物から読み解く授業は,よく行なわれていますが,私は,まだまだ資料を読解する視点が足らないことを反省させられました。どの話にも共通すると感じたことは,現在に残っている資料を,復原のための手掛かりを探す視点から読み取ることで復原が可能になる,ということでした。
江戸を描いた屏風絵は,江戸城を上に描くため西を上にしたものが多く,京都を描いた『洛中洛外図屏風』などは,御所を上に描くため北を上にしたものが多い。また,高札場を見ている『江戸図屏風』は幕府の視座で,見ていない『江戸名所図屏風』は庶民の視座で描かれている。このように,描いた絵師や発注者の意思が反映されていることが読み取れると解説されました。
また,展示の難しさとして,上水の樋を見えるように展示したら「落とし穴がある」と勘違いされたり,竪穴住居の内部を見えるように展示したら「半分壁がない」と勘違いされたりするなど,見やすさやわかりやすさを考慮した展示なのに,誤解されることもあることが紹介されました。
日本橋の上を通る首都高の地下化の計画が報道されています。当時の景観を復活させる考えもありますが,景観を壊した開発を行なった負の遺産としての価値もあることが解説されました。景観を戻すことだけが正しいことではなく,さまざまな視点から考えていく必要性を感じました。
〔博物館見学と解説〕
講演の後,波多野先生の解説を聞きながら,実際の江戸東京博物館の展示を見学しました。
江戸の長屋の天井がなかったり,屋根の木目がそろえられているなど,これまでに気がつかなかったことが多く,見学する際の視点を教えていただきました。長屋は天井がなく,部屋は狭く収納空間もなく,土間で火を扱うなど,復原展示から当時の生活を感じました。
ところで,肥溜めから汲み取られた下肥が近郊農村に売られ,その収入は家主のものになることから,江戸の長屋の家賃は当時の世界の大都市に比べ安く抑えられていたといいます。長屋と便所の展示や下肥の話などからは,江戸は究極のリサイクル都市であることも納得しました。
また,江戸の庶民(江戸っ子)の生活については,狭い長屋に住んでいるので,町を「居間」として暮らし,寿司・天麩羅・鰻・蕎麦などを屋台で食べていました。歌舞伎や浄瑠璃などの娯楽も充実し,村では祭りの日にしか来ないハレが,都市では盛り場としていつでもハレが作られている様子も分かりました。家で火を使わないために屋台が繁盛したり,長屋の構造が単純であったりする背景に,火事があること,そして火事があることで江戸の経済が廻ったことが分かりました。
その盛り場のハレの様子をあらわした両国橋西詰広小路の模型では,葦簀(よしず)を作る際にその素材として和箒をばらして作成した話や,見世物小屋の壁面は酒樽の薦(こも)で覆われていて,その薦のサイズを調べるために実際に樽酒を購入した話などを聞きました。模型を作る際に,より本物に近づけるための思いを感じさせられました。
波多野先生の復原を行なうための思いと,資料を読み解く力を強く感じた夏季公開講演会でした。なお,この講演会は東京都金融広報委員会研究グループの活動として行われました。参加者は会員を含めて35名でした。
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