第158回及び159回の学習会を新型コロナウイルスの蔓延に対する都・国の緊急事態宣言の発令を受けて中止と致しました。講演・講師をお願いしておりました高岡様、西山様には大変ご迷惑をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。
学習会の再開のめどとして、学校の授業が再開された時点を考えております。新しい児童・生徒との出会いを楽しみにしていた先生方、そして何よりも児童・生徒の皆さんの気持ちを考えると1日も早い終息を祈るのみです。
さて、2月末以降の様々な動きから私なりに考えたこと等をお伝えさせていただきたく思います。
第一に、2月26日(水)から27日(木)にかけての公立学校一斉休校措置の指示についてです。
中国の武漢市を中心とした患者の状態や罹患者数の増加や症状が伝わり、さらに2月3日に横浜港に入港したダイヤモンドプリンセス号の乗客から罹患者が発生するに至って身近な問題として捉えられました。以降のことは略しますが、「公立学校一斉休校措置」の根拠は何だったのでしょうか。
首相が「全校一斉休校」を語った後に文部科学大臣が会談したようですが、首相の意思は変わらなかったと言っています。会談で何が話し合われたのかは不明です。現実には「首相要請」を受けて、各教育委員会が判断し、指示(通知)したことになりますが、教育委員会の通知を受けて、「ちょっと?なんで?」と考えた教師、特に管理職はどれだけいたでしょうか。
【追補】
・新型インフルエンザ等対策特別措置法に新型コロナウイルスによる感染症が加えられる改正が行われ(3月13日可決)施行されたのが3月14日、それに基づいて政府が東京など7都府県を対象に緊急事態宣言を発令したのが4月7日、東京都は4月10日に新型コロナウイルス感染拡大防止のための東京都における緊急事態措置等を出した。
・これ以前に児童生徒が新型コロナウイルスによる感染症に罹患した場合、学校休業は、学校保健安全法と学校保健安全法施行規則に定められているため、この法律によって行うことができる(新型コロナウイルスによる感染症は、1月28日公布の厚生労働省の政令で「指定感染症」とされたため、学校保健安全法施行規則 第18条第2項(第1号に規定する「第1種の感染症」と同等)に該当する)。・学校保健安全法には、次のような規定がある。
(出席停止)
第十九条 校長は、感染症にかかつており、かかつている疑いがあり、又はかかるおそれのある児童生徒等があるときは、政令で定めるところにより、出席を停止させることができる。
(臨時休業)
第二十条 学校の設置者は、感染症の予防上必要があるときは、臨時に、学校の全部又は一部の休業を行うことができる。
(文部科学省令への委任)
第二十一条 前二条(第十九条の規定に基づく政令を含む。)及び感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(平成十年法律第百十四号)その他感染症の予防に関して規定する法律(これらの法律に基づく命令を含む。)に定めるもののほか、学校における感染症の予防に関し必要な事項は、文部科学省令で定める。」
・これまでも各学校では新型インフルエンザなどに対し、学級閉鎖や学年閉鎖などで対応した経験を持っている。
児童・生徒の安全と健康を守り、ウイルスの拡散は防止しなければなりません。しかし、児童・生徒の行動範囲を考えれば、規制を掛ける対象はもっと別な集団ではないでしょうか。
この際、戦前の日本で戦争遂行に教育がどのように使われていたかを忘れてはいけないと考えます。自民党は憲法改正の項目の一つに「非常事態条項」を掲げています。今回の動きはそのシミュレーションではないかととらえる向きもあります。学校というどちらかというと権力に弱い、従順な大人の集団をねらったと私は考えます。そこに経済最優先の首相の思惑も見え隠れします。このような指摘を、加藤節氏(成蹊大学名誉教授)もされています(3/31 毎日新聞 夕刊)。
さらに、「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の改正が成立し、3月14日に施行されましたが、この改正に当たり国会への事前承認は盛り込まれておらず、国会の承認なくして緊急事態宣言発令が可能になりました。その後、4月7日に緊急事態宣言が7都府県に発令されました。
この一連の流れを、世界で最も民主的とされたドイツのワイマール憲法を骨抜きにし、あっという間に独裁主義体制を打ち立てたヒトラーの政治に重ねてみることもできます。このことは、前述の加藤節氏の他に石田勇治氏(東大大学院教授 4/15 毎日新聞)、藤原辰史氏(京大人文科学研究所准教授 4/16 毎日新聞)も指摘しています。
負の歴史を学んで明日への正義につなげることが求められます。歴史を学んで今をそして将来を考えさせる教科が社会科です。社会科の教師として皆さんはどのように考えますか。
第二に、このような状況の中で児童・生徒に何を学ばせることができるでしょうか。これまで、学校教育では「生きる力を身に付けさせる」ことをねらいにしてきました。また、正解のない問いに対して、根拠を以って自分なりに考え、解決の方法を考えさせてきました。
私も含めて教師は、その具現化を目指して指導してきました。となると、今の様な状況はまさにその成果が問われているのではないでしょうか。「不要不急の外出は控えましょう」、「食料や日常生活に必要なものの買い物はその限りではありません」、「健康維持のための散歩等は適切な距離を確保しましょう」ということで、週末の商店街は殊の外にぎわったようです。また、三浦半島や至近なところでは「善福寺川緑地公園」などもかなりの人出があったようです。今の30代~40代は「生きる力を身に付けさせる」教育を受けた世代です。彼らがどのような行動を取るのか、教育の成果が問われていると考えます。
4月16日付の毎日新聞夕刊「特集ワイド」に、次のような取組が紹介されていました。
―新型コロナウイルスの影響でトイレットペーパーやティシュペーパーが買い占められ、品薄になった時だった。神奈川県秦野市の取扱店にこんなポスターが張られた。「本当に必要ですか?」
作成したのは近所の小中学生 12 人のグループ。休校になった 3 月初め、「コロナ対策本部」を設置し、休みの間に何をするか話し合った。ポスターもその一つだ。
本部は、家で仕事をする親がいるメンバーの自宅。年長者が勉強を教えたり、外で遊んだりした。もちろん、体温測定や手洗い、換気など対策を徹底した。彼らには初めての体験だ。(以下略)
(コラム 花谷寿人の体温計 子供たちの対策本部 より)
インターネットを活用した授業が一気に広がりつつあるようです。確かに便利ですが、学校教育の特性の一つは「人間が人間に教える」ことにあります。便利さに流されてはいけません。「負の歴史を学んで明日への正義につなげること」と同じように、「インターネットを活用」するのは、人間であり、人間の営みの補助的な手段でなければなりません。
そのように考えると、今言われている「ソサエティ 5.0」も十分に吟味する必要があります。前述の「経済最優先」の考えが背景に見えます。この辺りについては、浜矩子氏(同志社大学大学院教授)の近著「強欲『奴隷国家』からの脱却」に分かりやすく書かれています。
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