記念すべき第200回社会科学習会は2月15日(土)に新宿区立牛込第一中学校で開催され、福島県矢祭町立矢祭中学校の三部達也先生が実践発表を行いました。三部先生は、本年度、勤務校を離れて大学院前期博士課程に在籍し研究を進めています。今回は『現職教員の大学院におけるリカレント教育〜大学院での学びと研究報告〜』という主題で、現職教員の大学院での学び直しについて今年1年間の学びと研究について発表されました。
会のはじめに会長の峯岸誠先生から「社会科学習会は平成18年に江東区立深川第八中学校で私と園田先生、高山先生と三人が発起人となり、社会科の若い先生を育てることを目的に始めました。今年で19年、そして今回で200回を迎えました。ここまでに多くの方が実践発表をされ、ご指導を頂き、錚々たる先生方においで頂いており、ありがたく嬉しく思っています。三部先生は学生の頃から参加していただいています。若い先生方が引き続き会に参加されやがて会の中心になってくれることを期待しています。」と挨拶があり三部先生の発表が行われました。 以下要旨を報告いたします。
0. 自己紹介、福島県矢祭町について
福島県出身、大学時代は峯岸先生から指導を受ける。教育実習は実習校が東日本大震災の被害にあったことから神奈川県立高校で実施。教育実習では多くのことを学ぶ。卒業後は世田谷区非常勤職員を一年間勤めたのちに大田区立中学校教諭として勤務。2020年から福島県矢祭町立矢祭中学校に赴任し、今年度は大学院休業制度を利用し現場から離れ、大学院前期博士課程に通い研究している。
矢祭町は、福島県の中通りに位置し、福島県の最南端、茨城県に隣接する自治体である。人口は5100人で、町内には子ども園、小学校、中学校がそれぞれ1校ずつ設置されている。政府主導の平成の大合併に反対し「合併しない宣言」で2002年に全国的に有名になった。自治体の独立のために、独自の歳出削減を行い、結婚・育児政策の充実に注力している。
1.はじめに
「これからの社会科教師として必要な資質・能力は何でしょうか?」
この問いがまず投げかけられた。
教職現場の現状として、令和6年12月25日の中央教育審議会諮問『多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速させるための方策について』が取り上げられた。そして、教員採用試験の現状から、教員不足について、メディアなどにより業務の多忙さが露わになり理解されやすくなったことが原因の一つとして考えられることや、大学の教員養成過程の再編による影響等が挙げられた。
教員不足は、福島県着任後に経験した校務分掌の状況や勤務校の教員の構成から実感しており、若手の先生に求められる業務の増加を感じている。若手の先生に対しベテランの先生が少なく、指導を受ける機会や周りの先生同士でフォローし合うことが困難な現状があり、この傾向は東京都も同様ではないだろうか。
「働き方改革=学校業務の時短化 教材研究の時短化?」
これらの問いについて三部先生は懸念している。教育書は授業のハウツー本が多く、自身も助けられていることを挙げた上で、こうしたハウツー本のニーズが増加するほど業務の多忙さが背景にあると考える一方で、教材研究不足を懸念している。特に社会科では見方・考え方や使用教材の意義への理解が不十分であると社会科の目標に辿り着けない。ここから以下の問いが投げかけられる。
「良い社会科の授業=生徒の成績が上がる? 「学力向上」の“学力”とは? 成績が高ければ、それで良いのか?」
これらの問いについて、良い社会科の授業が生徒の成績の向上に至るのかという疑問、中央教育審議会が再考している“学力”とは何のことであるのか、学力テストの平均といった平均に囚われている現状が背景にあると三部先生は見ている。
学力への再考、教育は変化するかもしれない兆し、エビデンスがあるからそういう教え方が良いと言った風潮の蔓延に対して、三部先生は以下のように考える。「教育である以上、教科では何を身につけるかを考えることは大事だが、それが本当に正しいか批判的に考えることも必要ではないか。」
2.大学院での学びについて
大学院休業制度について、現職派遣や長期研修生とは異なり希望する大学院に進学しやすい点がメリットである。一方で、所属校に在籍しているのみでノーワークノーペイであるため経済的負担が大きいことがデメリットである。
大学院での講義について、大学院の前期博士課程は教職大学院ではなく、研究の一面が強い点を強調したうえで、文献・論文精読、ディスカッション、プレゼンテーション、実験授業、フィールドワークといった講義があることを紹介した。各講義内容について、文献・論文精読では学会誌の掲載論文を中心に扱っているため、働いていたら目にすることはできない論文に触れられること、研究されていることや社会科の親学問から知見が得られていることを語った。また、実験授業や大学院のプログラムで海外に赴いたことについて言及した。実験授業では、韓国の大学で大学生に安重根を取り扱った歴史の授業を行った。韓国には韓国の立場があり、話し合えたのが良かった。大学の国際交流プログラムにて中国長春の京北師範大学に派遣され、学校視察を附属校と農村の小学校で行った。いずれのプログラムもそれぞれの国に対する印象の変化や多くの経験を得ることができた。また、長春の博物館・戦争記念館を見学し、中国にて満蒙開拓団を侵略と捉える歴史の見方について、大学院でフィールドワークを行った長野県佐久穂町との比較を考えさせられたという。
自身の1年の学びから、大学院の研究は実践研究(教材研究)とイコールで結ばれないこと、研究は教材研究を積み上げた成果ではないと実感している。この点は現職教員が苦労する点であり、自身も研究を進める際に悩んでいるという。
大学院での学びについては、現場では大学院での経験を期待されているものの明日役に立つようなことを学んでいるとは言い難い、しかし、期待にこたえられるように学んでいきたいと述べられた。
3.ご自身の研究について
三部先生の研究テーマは「多様性と社会的包摂からとらえた中学校社会科の一考察」である。近年の教育におけるキーワードである「ダイバーシティ(多様性)」や「ソーシャルインクルージョン(社会的包摂)」に目を向けている。
文部科学省の「第4期教育振興基本計画」内の ② 誰一人取り残されず、すべての人の可能性を引き出す共生社会の実現に向けた教育の推進に使用されている「多様性、公平・公正、包括性、共生社会」は、社会でも広く言われ、社会的弱者を守る意味合いで使われている。国際社会の動向や貧困の問題が露わになり、相対的貧困やヤングケアラーなど社会的弱者が身近なところにおり、社会的排除が問題となっている。公立中学校のアンケート結果から、「校内成績」や「クラス内影響力」が高い生徒ほどルールを遵守する生徒が逸脱者を排除し、生徒が無意識のうちに「排除の加害者」になることが危惧されている。この点については常に内在する課題であり、弱者に対して優しくしようというような人権教育ではカバーしきれないことがある。
テーマの対極である「社会的排除」について、フランスの社会学者ルネ・ルノワール Lenior Réneの理論では、社会の周辺部に排除された人や、位置する社会に適応できない人々を指し、貧困とのつながりも存在するとされている。1990年代以降、EU諸国では移民労働・貧困問題・社会的差別、ジェンダー疾病から政策的課題として主張され、社会全体に影響がみられている。イギリスではシティズンシップ教育で克服を図っている。柏木智子は社会を包摂するカリキュラムを生徒が実践的に学ぶことで公正な民主主義や社会正義に繋がると主張している。これらの理論から、「社会的排除」を学ぶことが生徒のエンパワーメントに繋がり、社会科で求められている「公民的資質の形成」につながると仮説を立てた。
先行研究では開智国際大学の坂井俊樹らが「包摂と排除」の社会意識と社会科カリキュラムの改善に関する研究で、学校現場で行われている実践を分析している。分析から、ダムの建設問題やファストファッション問題といった論争問題となる学習内容を取り上げ、児童・生徒がさまざまな立場で多元的に考え、話し合いを行っていることが特徴であるとした。一方で、心情的理解にとどまる点や様々な立場を理解したうえで合意形成を行えていない課題がある。この課題に対して、現場の教師は論争問題学習を避ける傾向がみられる点を指摘する。背景に政治的中立性の保持への不安があることが考えられる。そのうえで、「政治的中立性をどのように考えますか?」という問いが出された。政治的中立性について、そもそも中立であるのかという疑問と、政治の話題を避けることで主権者教育が停滞する問題が挙げられた。
社会科と人権学習については野本祥太郎の論文及び森実が社会科と人権教育としての社会的包摂の理論から体系化している。
先行研究の整理を進めるうえで課題も見出された。包摂する側の問題点に気づかなかった点が指摘されていることについては、ワークシートに記述がみられなかったことが要因であるとみる中で、レポートや単元の振り返りといった記述をどのように解釈するべきかが重要である。パフォーマンス評価において生徒の学んだことを教員が本当に読み取れているのか、文章がうまい生徒とそうではない生徒の評価に課題があると見ている。社会的包摂を生徒にどのように理解させるかが難しいこと、生徒がどのように認識しているかを見取るかが本研究における課題になっていくと考えている。
前述の柏木の研究では、教科教育やカリキュラムだけではなく学校文化やケアする教員の困難さにも注目しながら、子供たちの批判的思考とケアする能力を育むことが重要としている。そのうえで、「批判的思考をもったケアする能力」がどのようなものかが不明であること、社会科で育成する批判的思考の位置づけなどの点から、今後検討の必要があると考える。そしてこの観点は子供達が主権者になっていく際にも関わっていくものと考える。
以上のことから本研究では、多様性・社会的包摂と社会科教育との関連において、どのように生徒に指導することで理解させることが可能なのか、関連する社会科で育成すべき批判的思考はどのようなものかを中心に取り扱う。一方で学級に「当事者」がいる場合、教育上または研究倫理上の課題が生まれるためどのようにすべきかも検討していく。
最後に、本研究は令和6年12月25日中央教育審議会諮問「初等中等教育における教育課程の基準などの在り方について」が指摘する、顕在化している課題である「子供の社会参画の意識、将来の夢を持つ子供の割合等についても、改善傾向も見られるものの国際的に低い状況」とも関係性が深いとみている。
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