第198回学習会の報告

 第198回社会科学習会は、12月14日(土)に新宿区立牛込第一中学校で開催され、講師に元全国中学校社会科教育研究会会長 赤坂 寅夫 先生をお迎えして、「赤寅の社会科教師としての半世紀」という主題でご講演をいただきました。

 教科社会科が生まれた意味やそれを発展させた先人の努力、継続されている社会科教育の流れについてお話しされました。その流れの中で、さまざまな社会科教育に関わる人との出会いを大切にし、真摯に実践と研究を積み重ねてこられた赤坂先生の社会科教師としての歩みを伺いました。帝国書院「社会科のしおり」に連載中の『地理学習トラの巻』の内容や主体的な学習に取り組む態度の評価などに触れたお話しから、これからの社会科教育や社会科教師の在り方について学ぶことができました。以下、その要旨を報告いたします。

1.中学校社会科の変遷

 戦後、昭和22年に新たに社会科が発足し、戦前の教育とは全く違う、生徒主体の教科として生まれ変わりました。現場では、何もないところから各地で社会科の授業プランを構成する運動がおこりました(いわゆる経験主義社会科の時代)。

 しかし、朝鮮戦争や米ソ対立、スプートニクショックをきっかけに教科の性質が変化し(系統主義社会科へ)、それまでの社会科は「這いまわる社会科」と批判されるようになりました。昭和33年版学習指導要領から地・歴・政経社の分野となり、道徳も始まりました。昭和44年版からはπ型学習が始まりましたが、知識中心の社会科に対する批判や生活の豊かさの向上から、昭和52年版では教育の「ゆとりと充実」が求められるようになり、内容や時間数の削減が図られました。このころ、中学校の地理では、世界を先に学ぶように変化しました。

 平成元年版からは、観点別評価が取り入れられ、平成10年版にはいわゆる「絶対評価」が導入され、評価観が変わってきました。また、平成10年版では、学び方を学ぶ学習が重視され、地理的分野では3地域に絞って調べ方や学び方を学ぶ学習が展開されました。このような大きな転換に、現場の教員は苦労した面もあったのではないかと推察されます。

 このように、学習指導要領の変遷を理解しておくことも、教員として大切な学びです。

2.赤寅の社会科教師としての半世紀

 もともと、数学教師を目指していたのですが、途中で専門を地理に変え、東京学芸大学に入学しました。教員の大量採用が始まった昭和47年に採用され、初任は東京都中央区に赴任しました。都中社研の地理専門委員会に行くことになり、地理の大家である高山昌之先生、河合隆慶先生に師事しました。昭和54年には教育研究生として「資料活用についての研究」に携わりました。まだまだ知識教授が全盛の時代に、OHPで資料を重ねて投影し、資料から考える授業をすることを提案しました。

 昭和56年に江東区に異動したときには、地歴融合の単元「水で作られたピラミッド」開発を試みました。また、一見因果関係がないように思えることがつながっていく面白さを生徒が感じられる授業「ミシシッピ川が凍ると日本の牛が風邪をひく」を開発しました。

 昭和60年には東京学芸大学附属世田谷中に勤め、大学附属学校を経験した後は教育委員会に籍を置き、公立学校の配置適正化、平和教育資料の作成、学校防災計画の作成を経験しました。この時には、阪神淡路大震災の現場に行く機会を得て、防災上や地域の核としての学校の大切さに気付かされました。発災時の学校の開放、避難所から学校教育の再開への移行などの手順やきまり、防災用品の整備の必要性などについてまとめた意義は大きかったと考えます。

 この間、文部科学省の仕事を担うことや、社会科教育学会へも参加するようになりました。平成10年に東京都立教育研究所(指導主事)で、峯岸先生、岩谷先生と出会い、研究を共にするようになりました。教育研究員の指導の中で、高岡先生、入子先生など、力のある女性社会科教員とも関わるようになりました。峯岸先生には、その後峯岸校長の副校長という立場でもお世話になりました。

 平成16年の関東ブロック中学校社会科教育研究大会(東京、杉並区)に向けて、これからの社会科がどうあるべきかを宇野先生、三枝先生とともに真剣に考えました。知識を身に付けるだけの社会科ではなく、それを基に自分はどう社会に働きかけていくか、すなわち「自分づくり・社会づくり」を合言葉に、社会参画意識の醸成をテーマにした東京都の社会科教育研究が始まったのです。

 平成17年からは、校長として中央区に赴任し、修学旅行を絡めた平和学習、土曜スクールの実施など、特色ある教育を実現しました。

 平成22年からは、東京都教職員研修センターの教授に就任し、東京教師道場の担当をし、様々な若い先生方を指導する機会に恵まれ、多くの力のある先生方と出会うことができました。指導を通して、「若い先生方に社会科をもっと盛り上げてほしい」という願いが実現していることはとてもうれしいことでした。

3.開発した実践について

⑴「水でできたピラミッド」~地歴融合単元の開発

 地理では気候や降水量(雨温図)と歴史(エジプトは「ナイルのたまもの」の言葉、天文学や測量技術の発達、文字など)の分野融合を意識し、なぜナイル川では洪水が発生するのかを、地理的視点から考察させ、歴史的事象の深い理解に関連付けました。

 単元の最後には、環境問題への視座から、ナイル川にダムができたことでの地域の環境変化を取り扱いました。

 なお、後に社会科教師を志す大学生に対して、この実践のタイトルから「どのような授業か?」とイメージを問うてみましたが、深い理解がある学生はタイトルだけで授業の構成をおおよそ考え付いていました。

⑵「ミシシッピ川が凍ると日本の牛が風邪をひく」~アメリカの農業の特色の授業

 教科書の資料が少なく、プリントも手書きで作成する時代に、ワークシートに資料と問いを入れ込みワークシートの学習手順を通して問いに迫る構成にこだわりました。当時は「Japan as No.1」と言われた時代でした。そこで、農業に関する日米関係の対立を考えさせるワークを盛り込みました。一見関係がなさそうな(ズレがある)タイトルですが、資料を基に考察しながらどういう意味があるか紐解いていくことで、アメリカ合衆国の地域的特色や農業に関する日米関係を深く理解することにつながりました。

4.トラの巻の執筆

 地理の指導に関する知識が乏しい先生が増えていることを感じ、地理的な見方・考え方、問いの作り方、単元を通した指導、単元を貫く問いと各時間の問いの関係などを中心に、基礎的な内容についてまとめたものです。また、生徒が「面白い」と感じられる、ちょっと頭をひねるような問いを基にした授業づくりができるようにということを意識しています。

5.指導と評価

 主体的に学習に取り組む態度の評価の在り方として、長いスパンの単元での評価、1学期に1回程度が良いのではないかと考えますが、ご承知のように、評価方法については様々な議論があります。また、私は個人内評価をもっと大切にするべきだと考えています。「目をかける 声をかける 気にかける」を意識することが大切です。そして、ワークシートを活用した振り返りなどの評価も有効であると考えます。詳しくは、「トラの巻」をご覧下さい。

6.今後の社会科について

 私は授業を見せていただくとき、10分前から教室に入り、先生と生徒のやり取りを見ています。そこから、教師と生徒や保護者との信頼関係がわかります。教師と生徒の関係が上手くいっていれば、授業もうまくいくものです。社会科教師(授業者)としての在り方は、子どもの気持ちや感情を引き出すファシリテーター、コーディネーターであると思います。そして、子どもの言葉を大切にして、自信を深めさせ、意欲を高めるサポーターとして、社会科を好きになれるような授業を実践していきたいものです。

<質疑応答>

・今後の社会科がどうなっていく、どういう方向に行けばいいとお考えですか?

→投票率の低さに社会科教員としての責任を感じる。もっと若い人の意見で日本を変えていく必要がある。今以上に前向きに社会を考えていける生徒を育ててほしい。

・受験戦争などの意識が激しい中で、先生のような授業を実践していた時の生徒や保護者の反応、批判はなかったのですか?

→子供中心の学習をやっていたので、保護者からの批判はなかった。

・生徒の素朴な疑問を引き出したり、生徒に気付かせたりする問いの引き出しはどうやって作ればよいですか?

→生徒に出す教材を何にするかが肝心である。生徒があれ?と思うような資料を出し、生徒から出てきたつぶやきをひろい、つなげていく必要がある。まずは先生自身が教材研究を通して「あれ?」「面白い」と思う経験を増やしていきたい。先生自身が楽しめる授業にしていくようにしていくといいでしょう。


社会科学習会ホームページ

社会科学習会は、若手教員を中心に、中学校社会科の指導法や教材開発等について学びを深めたい人たちが集う会です。会長の峯岸誠先生(元 玉川大学教授、元全中社研会長)、岩谷俊行先生(元全中社研会長)のもと、東京都内で基本的に月一回定例会を開き、年に一回は巡検を行っています。学習会への参加は随時受け付けています。社会科の力を付けたい先生方、一緒に勉強しましょう!

0コメント

  • 1000 / 1000