第194回社会科学習会は、令和6年7月27日(土)に、新宿区立牛込第一中学校において本会会長 峯岸 誠先生による講演が行われました。「観点別評価のめざすところ」という主題で、観点別評価が実施された経緯や観点別評価の目指すところ、教育基本法の改正に伴う学習指導要領の改訂による観点別評価の在り方、現行の学習指導要領による観点別評価と課題についてお話をしていただきました。
当日は、35.6℃という猛暑日で駅から会場まで歩くだけで汗が噴き出してきました。夏季休業日となっても保護者・生徒との教育相談や部活動の指導が続く中、参加した先生方は、社会科教育の在り方や変化の激しい社会の中で生きていく子供たちのために必要な資質・能力を身につけるための学習評価について学ぶことができました。
以下、峯岸先生の講演の要旨を紹介いたします。
1.自己紹介
(1) 私が生まれた頃
夏休みに入って最初の土曜日、先生方もほっと一息というところかなと思っています。そういう中にもかかわらず、参加していいただいたことに大変嬉しく思います。
私が生まれた年は1946年、終戦の翌年にあたり日本国憲法の公布の年です。注目していただきたいのは、1947年の3月31日、まだ日本国憲法が施行されていない時に教育基本法ができました。その時、6-3-3制度となって国民学校は小学校に、旧制中学校は高等学校になりましたが、中学校は元々の学校はなく、全国一斉に作ったことは、いかに大変だったかがわかるかと思います。まもなく80周年を迎える中学校が母校や勤務先であれば、どういう経過で中学校が作られたのか調べてみてください。多くは地元の人々が土地を探し、建物は住民がお金を持ち寄り、校舎を建てたと言われています。4月に学習指導要領の試案が作られましたが、新しい教科として「社会科」をつくり、6月に公表。よく言われる「はい回る教科」としてスタートしました。生まれて1年も立たないうちに教育制度が変わり新しい教科が生まれました。
(2) 社会科教員となった理由
都立石神井高校を卒業後、家が貧しかったため、都立小石川高校の事務職員となり、中央大学夜間部に通っていました。この年の12月に中央大学では大学会館の管理運営権をめぐる問題でストライキが起こり、そこから大学での学生運動が加熱し、その後、日本大学や東京大学にも広がっていきました。そのような時代の頃に大学を卒業しましたが、卒業式は無く卒業証書は大学の事務室の小窓から学生証と引き換えに受け取りました。中央大の法学部の人は誰でも司法試験を受けて、弁護士か検察官かと考えていて自分も受けたが、そう甘くはなく、小石川高校の同僚にも何人か目指している人がいたため、5年ぐらいは我慢しないといけないのかと思っていました。ところが、今度は小石川高校でも高校紛争が始まり、教員室を占拠し、バリケード封鎖やハンガーストライキが行われました。その時に首謀者だった高校生を教員や親を説得できなかった大人たちを見て、「そういう高校生を作ってしまったのは、小・中学校じゃないか。子どものあり方とは何なのか。」と考え、中学校教員は面白いのではないかと思い、それまで考えていなかった教員の道に踏み込んでいきました。その時首謀者だった高校生はある市の市長として活躍し、全国に先駆けて政策作りに若者の声を入れてかなり成果を上げています。私の人生を決めてくれた人で一度、会ってみたいなと思っています。
2.観点別評価について
(1) 観点別評価の導入
観点別評価は平成10年(1998年)からで、それまでは相対評価といって、順位づけによって評価をしていたものであり、結果として進路指導で偏差値や業者テストに偏ることになっていました。実は平成元年の学習指導要領改訂時に一部、相対評価を改めて観点別評価を取り入れるとありましたが、趣旨を徹底するために教科には取り入れていませんでした。平成10年版の学習指導要領では、学習指導要領に示す目標を規準として、その規準を達成できたかを評価するとしました。この時、いわゆる「絶対評価」という言葉が使われました。そして、観点別学習状況を基本として、児童生徒の学習を伸ばしていくことになります。
社会科の目標(平成10年告示) 広い視野に立って、社会に対する関心を高め、書資料に基づいて多面的・多角的に考察し、我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め、公民として基礎的教養を培、国際社会に生きる民主的、平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。
社会科は上記の教育目標をもとに、4つの観点「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」に整理されました。この観点の定義について、都立教育研究所所長をされた奥田真丈氏が次のように説明しました。
人間として「生きる力」を考える時に「生きる力」の最終的なものに至る入口、出口論があるが、興味、関心、意欲、態度の4つはその入口で、これに従って学ぶということが起こる。学ぶ時の活動は「なぜだろうか」「どうしてだろうか」考えること判断することと理解していた。表現するには口で表す場合、動作で表す場合、文字で表す場合それらの中に求めること、直感的に「こうしたらいいんだ」ということが出てくるだろう。これが渦を巻いたようになることが学習ではないか。それが学習の本質ではないか。その結果として知識が出てくる。この知識の理解が総合した力になる。
また、平成10年版学習指導要領の参考資料には、最終的には個人内評価を目指すことが記されています。その生徒が持っている力がどれだけ伸びたか一人ずつの力を見ていこうとしていました。このことは特別支援教育の「個別支援計画」と同様かと思います。子どもの良いところを見て伸ばす指導を目指していくとしてスタートしました。
(2) 教育基本法の改訂による影響
平成18(2006)年に教育基本法が改正され、学校教育法以下の法律すべてをこの教育基本法に合わせることになります。学校教育の目標も変わり、学校教育法第30条②には習得、活用、態度が示されるようになりました。教育基本法に揃える形で観点も3観点に整理されました。一番皆さんが困っているのは「主体的に学習に取り組む態度」かと思います。平成20年改訂は学習内容についての関心・意欲・態度だったものが、自己調整力や学習の見通しなどを評価に含めることになったことで、さらに難しくなったように思います。ちなみに参考資料には次のように示されています。
観点別学習状況の評価については。こうした教育目標や内容の再整理を踏まえて、小・中・高等学校の各教科を通じて、4観点から3観点に整理された。
~『指導と評価の一体化』のための学習評価に関する参考資料p.6
これは教育基本法の形に揃えることで観点を整理したことになりますが、私は、これに違和感をもっています。教育基本法との整合性を図り、法規範としての秩序性を保つために学習指導要領が改訂された。さらに、指導要領に合わせて学んだ生徒の達成状況を見ていく。このような手順は、生徒の学びの実態と離れたものになってしまっているのではないかと考えています。
(3) 峯岸先生の疑問点
評価とは何のためでしょうか。評価には、生徒の学習状況の評価(評価される人)と教師の指導のあり方の評価(評価する人)など様々な側面があります。そして中学校の場合は、高校入試のように、評定が入試の判定に使われるという特性があります。他校種の入試や企業採用と比較すると、中学校では入試のための評定という側面が重視されてしまいます。
学習評価の観点の整理について、かつては学習の経過に沿った観点の設定と配置であったのに対し、現行は、法令に則った文言整理の下で観点の整理がなされているのではないかと考えます。
「主体的、対話的で深い学び」と言われて「生徒の主体性」が強調されているが、現在の授業は生徒の理解や納得に基づいて行われているのか。かつて行われていた「這い回る社会科」になっていないか。
「歴史は過去に学ぶ」ことである。過去の過ちを学ぶことも大切ではないか。太平洋戦争後、80年間戦争が起きなかったのは日本国憲法があったからである。常に社会の批判的な姿勢が社会科教育として必要ではないか。
質疑応答
Q:評価が学習改善のための評価にならない。生徒も保護者も入試のための評価になってしまう。また、観点別評価も複雑化していないか。
A:教師の負担感は最初の4観点をつくったときにも考えられた。そこで1つの単元で2箇所評価することを最低基準として考えていた。
学期ごとの評定より単元ごとの評価が重要ではないだろうか。それから教科での評価の仕組みを丁寧に説明することや評価基準(例えばこうすれば評定が「5」になる)をはっきりと生徒に示すことが大事ではないか。
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