9月の社会科学習会は屋外、短時間でという事でミニ巡検「東京の尾根と谷シリーズ」の6回目を深大寺とその周辺で実施しました。当日の概要は下記の通りです。
1 深大寺とその周辺
深大寺には白鳳時代の造像とされる銅像釈迦如来倚像(いぞう)があり、2017(平成29)年に国宝に認定されました。東京都内では大倉集古館蔵の普賢菩薩騎象像に次いで2件目、寺院所蔵では初めてです。地理的には国分寺崖線の延長上にあり、崖下の湧水の湧くところに深大寺、崖の上に深大寺城趾があります。(下図参照、赤い部分が国分寺崖線の段丘上段)
2 巡検の様子
(1)深大寺
山門前に集合、深大寺の中心仏である「深沙大王」を祀る深沙堂と背後の崖と湧水の様子を観察、次いで金銅釈迦如来倚像を拝観しました。
金銅釈迦如来倚像の実物は東博に出開帳とのことでレプリカでした。それも、金銅釈迦如如来倚像と併せて白鳳期の三大傑作とされる夢違観音像(法隆寺)と香薬師像(新薬師寺・現在行方不明中)が脇侍のように配置されていました。三尊形式と誤解を招きそうな展示です。
その後、現在は深大寺の中心となっている元三大師堂、本堂、鐘楼等を巡りました。金銅釈迦如如来倚像は元三大師堂の壇下から明治期に発見されました。ちなみに元三大師は比叡山(天台宗)中興の祖・良源和尚が正月三日に逝去されたことに因む別名です。角大師とも呼ばれ疫病除けの霊力があるそうです。
(2)神代植物公園・水生植物園
丘陵や台地に平地が入り込んでいる景相は、谷戸(やと)谷津(やつ)、谷地(やち)などと呼ばれています。その典型的な地形を示しています。両側は崖で湧水が沸いています。現在は菖蒲や睡蓮、水芭蕉、みぞ萩、河骨、クレソンなど様々な水生植物が栽培されています。最奥(地形的には谷の先端部)は水田があり、地元の小学校の学習田となっているようです。
(3)深大寺城跡
水生植物園の最奥から約10mの崖を登り、空堀にかかる土橋をわたると城跡にでました。標高は約50mです。ここは、15~16世紀に扇谷上杉氏(本拠は河越城)の出城として築城されました。当時、扇谷上杉氏は小田原から北上する北条氏との闘いに明け暮れしていました。
深大寺城は国分寺崖線の舌状台地の最先端に築かれ、約3㎞先に多摩川、その後背地に北条氏を望むことができます。1537(天文06)年4月に扇谷上杉朝興が河越城で没します。嫡子朝定が家督を相続。深大寺の古城を修復し、城兵を入れ北条氏に備えました。
7月、北条氏綱(早雲の嫡子)は深大寺城を攻めずに河越城を攻略し、武蔵国をほぼ制圧しました。扇谷上杉朝定は松山城(埼玉県吉見町)に逃れました。現在は、空堀と土塁が往時を伝えているのみです。
深大寺城跡は国指定の史跡になっています。史跡にも関わらずなぜか「蕎麦」が栽培されていました。台地上は水が得にくいので麦が主要な農作物でした。さらに荒地では蕎麦と聞いています。
10月の学習会は「成人年齢引き下げと契約」と題して弁護士の中村先生よりご講演を頂きます。成人年齢が18歳になることで具体的に何がどうなるのか、危惧されることはなにか等のお話を法律面から伺います。全国大会の準備等でお忙しいとは存じますがお誘い併せてご参加ください。
なお、この講演は東京都金融広報委員会の研究グループに事業として行います。
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